皆さんは頭のいい人、と言われたら「物知り博士」みたいな人を想像しませんか?
これは僕たちが知識を「事実の集合体」であると理解しているからです。なので事実を多く知っている人=頭のいい人、と考えます。
いや、自分はそんな風には考えていない、という人もいるかもしれませんが、日本の教育はそのように教えていますので、多かれ少なかれそういう考えは僕らに刷り込まれているのです。
ちなみに僕がここで言いたいのはいわゆる「受験勉強批判」ではありません。
学校の勉強ができることは十分頭がいいといえると思います。(ここでは触れませんが)
しかし社会人になり収入のため、キャリアアップのための知識を身に着けると考えたとき、僕たちは今までの「物知り博士」的頭の良さをめざしてもどうにもならないのではないか、と漠然と感じています。
苦労して取った資格は仕事や給与に反映されていますか?
もし僕らがこれから仕事終わりに参考書を開いて試験のために勉強したとして。。
はたしてそれに費やした労力にみあった見返りがあるのでしょうか?
点数のない社会

学校とは違って、社会での個人の成果を数値化するのは難しい。
月の売り上げ実績で比べることも可能ですが、外部的要因を切り離して考えることができません。
学校の試験と異なり、建前上でも全員平等の条件を作り出すことは、実際ムリです。
だから肩書きや学歴、年収で比べる人もまだまだ多いですが、それすらその人自身の能力を表しているとは限らないと、僕たちは知っています。
でも社会に出てからもこの人頭いいなーと感じる人はいますよね?
仕事のできる人をみて、僕らはすごいな、とか頭いいな、と感じると思います。
仕事ができる人、の基準ってなんでしょうか?
自分より能力のある人ですね。
では僕らはどうやって自分より能力があると判断しているのでしょうか?
肩書きだったら社長が一番能力があって、あなたは部長より能力がないから平社員で、契約社員は能力的に劣っているから正社員になれない、ということになります。
現実は違いますよね。人にはそれぞれ長所短所がありますし。
もちろん能力があって相応の地位につく人もいますが。。
知識は「扱う」もの

仕事ができる人というのは「課題解決能力」がある人のことです。
少なくとも僕はそう考えます。
タイピングが早かったり、Excelを使いこなせる人を見て、「すごいな」と感じることはあっても「この人頭いい」とはならないですよね?
自分が解決できない問題を解決する人、気づきもしなかった視点を提示してくれる人を見て、僕らは「頭いいな」「能力があるな」と思うわけです。
そして課題解決はただ知識を提示するだけではできません。
仕事のできる人は、その知識が現状の課題のどの部分に当てはまるのか、どのように使えば解決に近づけるのかまで考えることができます。(意識してやっているかは別ですが)
さらにそのプロセスをわかりやすく説明できる、実際に実行できる、まで付け加えるべきかもしれません。
つまり知識を扱えることが、能力のある人の条件といえます。
この能力は僕らが学校で教わってきた「知識を取り出せる」ものとは別物です。
まずはできる風から

さっきもいいましたが知識を提示できるだけではどうにもなりません。
もちろん資格がまったくの無意味だといいたいわけでもなく、そこで得た知識を扱えるようになればいいと思います。
知識を扱うなんて難しそうなことできるの…?と思うかもしれません。
ここまで偉そうなことを並べてきましたが、僕は全然できません。
でもこれで仕事ができる人と、できない僕らの違いが少しわかったような気がしませんか?
違いがわかればそこを埋めるよう努力をすることで、僕らも仕事ができるようになるかもしれません。
本を読んだら「自分に当てはまることはないか?」とじっくり考えてみる。
職場の「できる人」だったらこの課題にどのように対処するだろう、と想像してみる。
この人から教わった方法は自分だったらどんな場面で使うだろう、とか
2つの全く別にみえる課題の共通点を探してみる、とか。
自分で考えるだけではなくて、相談してみてもいいかもしれません。
まずはやってる風、できる風からでも構いません。知識を扱うことを意識してみることからはじめてみましょう。
HarukaMaeda
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